政策研究ネットワーク山形(ブログ版)

組織の垣根や立場の違いを乗り越え、山形の人と知をつなぐ

会員紹介(第2回)小野仁会員(山形市議会議員)

第2回会員紹介は、本会の前身である「ローカルマニフェスト推進ネットワーク山形」設立当時から活躍されている山形市議会議員の小野仁会員です(2014年9月23日インタビュー)。さまざまなかたちで市民とネットワークでつながることにより、開かれた議会の実現、地域自治の活性化に尽力されておられます。

なお、本会はさまざまな立場や考え方をもった方々が集まって成り立っています。したがって、各会員のインタビュー記事は、必ずしも本会の見解を代表するものではありません。

◆小野仁会員プロフィール
おの・ひとし。1953年、山形市生まれ、ブリヂストンタイヤ山形販売勤務を経て、1990年に独立開業。各種地域団体・民間団体の役員、小中学校PTA会長等も歴任し、2003年より山形市議会議員。現在は、環境建設委員会委員長、山形市青少年問題協議会委員、山形市住居表示委員会委員、保護司、山形市青少年指導センター指導員、NPO法人山形県喫煙問題研究会常任理事、NPO法人障がい者情報支援ネットワーク・あいむネット理事、山形県防災士会副会長等も務める。

民間会社勤務から独立開業へ

小野仁会員02(山形市議会議員)

山形市香澄町の南追手前(現城南町)で生まれ育ちました。近所の人からは、この歳になっても、子どもの頃と同じように下の名前で呼んでくれるんですよ。山形中央高校を卒業してからは、東京で予備校生活を始めたのですが、親との約束で生活費をアルバイトで稼ぐようになってからは、いろいろな仕事に精を出す毎日になってしまいました。

そうした生活を送っていたところ、小学校の教師をしていた母親が狭心症で倒れてしまったのです。これ以上親に心配をかけさせるわけにもいかないということで、急遽、山形に戻り就職活動をしました。

営業に向いている人間だと思われたのか、運良く、ブリヂストンタイヤ山形販売に採用してもらいました。入社してからの仕事は順調で、営業成績もトップクラスで、昇進も早かったですね。そして、36歳の時に独立することになりました。当時は、各地で拠点形成によるエリア進出がはかられていて、その流れを受けて、会社からも30%の出資を得て山形市江俣に有限会社を立ち上げました。

社会貢献と政治行政への関心

独立した頃から、パートナードッグの飼育を個人的な趣味にしていて、麻薬探知犬、セラピードッグや補助犬を育てたりしていました。育てた補助犬福祉施設に預けられたことで、障害のある方たちと初めて接することになりました。自分たちが普段生活している社会とは「別の社会」を見たわけです。

「この人たちのために何かできることはないか」という意識が芽生え、福祉関係で新たな人間関係が生まれていきました。市議会議員になった2003年に日本パートナードッグ協会を立ち上げていますが、これは議員になる4~5年前から準備を重ねてきたものです。日本パートナードッグ協会は、数少ない介助犬の認定団体にもなりました。

福祉以外でも、さまざまな地域活動に参加していましたね。町内会や小中高のPTA等の役員活動といった活動はもちろんのこと、当時は自民党にいた鹿野道彦さんの勉強会にも参加したり、当時の山形大教授(現・東北文教大学教授)の大川健嗣教授の山形塾にも参加していました。人とのネットワークの多くはこの山形塾で築かれたものです。仕事も忙しかったのですが、やはり地域社会と関わるのが楽しかったんですね。

人生に転機が訪れたのが、仕事で独立してから10年後のことです。自分の店の敷地が県道拡幅の対象地になってしまったのです。このとき、立ち退きの補償をめぐって県と交渉することになったのですが、県の高飛車な態度にあきれ果てました。ただ、当時は流通革命のさなかで、元の販売会社からも教えてもらっていたことなのですが、メーカーがリテールも手がけるようになり、タイヤの販売業もだんだんと厳しくなるという時期でもありました。

また、同じ時期には、実家のあった地域も市による区画整理の対象になっていました。そこでは、高校時代の同級生もやはり大いに苦労していて、行政不信を募らせていました。それがきっかけで、同級生たちから「自分たちの同窓会からも政治家を出して、行政の風通しを良くしよう」という機運が盛り上がったのです。

わたしは同窓会の役員をしていて、ちょうど自分の仕事も転機を迎えていたこともあって、会長と副会長からも市議会議員への立候補を打診されました。物怖じしない性格を買ってくれたのでしょうか。私は政治家の秘書でもなければ、業界団体が付いているわけでもなく、同窓会からの応援という、いわば口約束だけだったのです。それでも、妻も何も言わず協力してくれて、立候補することになりました。

今考えると、よく立候補したなと冷や汗が出ますよ。さまざまな地域活動や福祉活動で培われた社会貢献に対する思いをかたちにしたいということが背景にあって、行政のやり方に対する義憤にかられて、立候補してしまったんですね。地区町内会長も応援してくれて、何とか当選することができました。2003年、49歳の時です。

中道の立場から社会的包摂を目指す

市議になった当時は無所属で、拉致問題などで自民党の沢渡和郎県議とも一緒に活動していました。福祉関係では、福祉に強い政党の議員が頑張っていましたが、それらの政党は党派性が強く、わたしはあくまで中道の立場から、何かに縛られることなく自由に是々非々の活動がしたかったのです。

ただ、翌年には、私が市議になる前から勉強会に参加させてもらっていた鹿野さんが民主党に復党したのをきっかけに、私も民主党に入党しました。社会的包摂という理念に大いに共感したからです。もちろん、理念だけではダメで、国政で民主党が批判を受けたように、具体的な政策展開がしっかりしていなければなりません。

私は、民主党に入党した年に、北川正恭三重県知事(早稲田大学大学院公共経営研究科教授)が始めた地方自治の勉強会に参加したことで、政策志向の地方政治家という像ができあがりました。これからの時代は、地方議員も勉強しなければならないとの思いを強くさせられたのです。

それがきっかけで、54歳になって、大川教授の勧めで東北文教大学に入り、卒業後は山形大学人文学部に編入学し、公共政策を学びました。そこで出会った北川忠明教授や石川敬義さんたちとで、北川前知事の提唱していたローカルマニフェストを推進するためのネットワーク組織(政策研究ネットワーク山形の前身)を立ち上げたわけです。

政治家の役割というのは、人びとが抱えている問題はさまざまありますが、そのなかでも政治行政で解決すべき普遍性をもったものを明らかにして、問題解決のために政策・制度面でできることを考え、その実現に向けて取り組むことにあります。

ところが、そうした活動の要をなすはずの選挙公約について、検証がなされることはありません。実際、市のマスタープランなどの政策に関心を持ちエネルギーを注ぐよりも、陳情に対応し、地域密着型で活動した方が選挙で票が集まるのです。

市の事業項目は1,800から2,000にも及ぶので、そのすべてのスペシャリストになることはできません。わたしは社会的包摂、インクルージョンの立場から、新自由主義路線とは一線を画して、福祉と教育で役割を果たしていきたいと考え、政策重視の議員活動に取り組んできました。私は経営者でもあるので、もちろん、市の財政にも目を向けています。

現在は、2013年からは山形大学の大学院にも進学し、障害者の参政権について研究を進めています。とくに視覚障害者の投票行動に現制度では十分に対応し切れていない点を明らかにするとともに、実際に、政治家として、選挙公報のあり方など、制度的に改正すべきことを提言し実行してきたいと考えています。

どうしても、福祉や教育に対する政策は、自分たちとは違う人に対して施しをすればそれで良いとしてしまう人がいるのですが、社会的包摂というのは、福祉の対象となる人も、自分たちと同じひとつの人生を過ごしているのだという目線で、社会参画を実現させていくことなのですね。

また、最近は、在宅医療・在宅介護について根本元先生たちの山形在宅ケア勉強会にも参加して、在宅での生活を多職種で支える地域包括ケアシステムの整備について政治的に支援できることを考えています。

地域自治の活性化に向けて

小野仁会員01(山形市議会議員)

ただし、私がやっているような活動は、特定の支持者の声を代弁するものではなく、誰が自分の活動を支援してくれているのか目に見えにくい。ネットワーク型で自由に人とつながっていくことが理想ですが、ホームページで政策発信しても、見てくれる人は議員の仲間や行政の職員に限られています。実際問題、政治家にとって「誰が投票してくれるのかわからない」状況はとても不安なのです。

最近では、政府の集団的自衛権行使容認に対する反対意見書の提出を求めたり、山形市公契約条例の制定に賛成したりしましたが、公契約条例の制定は否決されました。公契約条例によって、従来の入札制度によるダンピングを防止し、「総合評価一般競争入札」を導入することで、就職困難者の雇用を促進したり雇用の質を改善したりするとともに事業の社会的価値を高めるというものです。

こうしたテーマごとに党派性にかかわらず是々非々の立場で判断していると、支持者の方々から「見損なった」と言われることもあります。丁寧に説明していくしかありませんが、私の場合は、2期、3期目と少しずつ当選順位を上げているので、見えないところで支持してくださる方も増えているようです。

現在、山形市議会では市内8か所で地域報告会を開催していますが、昨年度は全会場で20数名しか集まりませんでした。天童や上山では1会場で20人位集まるので対照的です。地方自治の質の向上には、市民の方々に地方議会にもっと関心を持っていただくことが欠かせません。

私も山形大学インターンの学生を受け入れるなど試行錯誤をしていますが、いずれにせよ、向かうべき社会の方向性と、そのためにすべき具体的政策をしっかりと打ち出して、市民の方々に共有してもらえるよう、私たちがもっと頑張らなければなりません。

政策研究ネットワーク山形では、これからも党派や立場にとらわれることなくさまざまな立場の人が集まり、さまざまな課題について自由に討議を交わし、あるいは、さまざまな組織をつなぐことで、インクルーシブな社会の実現に向けたネットワークを広げていきたいですね。

(2014年9月23日、カナレットにて、聴き手&構成・伊藤嘉高)

参考リンク