政策研究ネットワーク山形(ブログ版)

組織の垣根や立場の違いを乗り越え、山形の人と知をつなぐ

28年度総会(5月21日)のお知らせ&発表者募集

平成28年度の総会を下記のとおり、5月21日(土)に開催します。今年度の総会は、会員の方々の交流を図り、知のネットワーク化を進めるために、各会員からご自身の活動や考えを自由に発表していただく機会を設けることにしました。

非会員の方も、当日ご入会頂くことで(年会費:無料)、参加&発表頂くことができます。ぜひともご参加ください!

会員の自由発表(活動報告)について

政策研究ネットワーク山形は、考え方や立場やアンテナの異なる多種多様な方が参加しています。そこで、会員同士でお互いの活動について知り合い、そこで指摘される問題点について考え合う機会を設けることで、私たちを取り巻く社会の諸課題の「根本」に迫りたいと思います。

発表時間はお一人10分以内(8分を目処に、残り時間を質疑応答に当てます)で、総会参加申込時に、発表タイトルをお知らせください。後日、発表スケジュールをお知らせします。当日は、PCとプロジェクタも用意します。

短い時間で、さまざまな方々によるさまざまな視点や論点を知ることのできるお得な機会です。気軽な発表会を予定していますので、皆様には、ぜひとも、ご発表ください!

ご参加いただける方は、前日までに事務局までご一報ください。ご発表いただける方は、5月14日までに、発表タイトルをお知らせください。

ご発表いただけることになった方とテーマをお知らせします5月13日現在、随時更新)。

発表者と発表テーマ(5月13日現在、随時更新)

  • 伊藤嘉高会員(山形大学医学部)
    「病院再編をどう考えるか」
  • 諏訪洋子会員(「義姫の会」代表)
    「『義姫の会』のねらい」
  • 齋藤和人会員(NPO法人 山形の公益活動を応援する会・アミル)
    NPOをとりまく状況(仮)」
  • 北川忠明会員(山形大学人文学部長)
    山形大学の改革のゆくえ(仮)」
  • 村山恵美子会員(「桜桃の会」代表)
    「私たちの社会参画~継続は力なり」
  • 小野仁会員(山形市議会議員)
    障がい者の政策形成の試み(仮)」
  • 草苅祐介会員(緑の党党員)
    「国内外の緑の党の活動について(仮)」

今年度のミーティングのテーマについて

政策研究ネットワーク山形は、山形における地域生活の切実かつ具体的な課題をテーマとした「ミーティング」を不定期に開催しています。今年度についても、会員の自由発表のなかで皆さんが興味深いと思ったものなど、ミーティングのテーマについても話し合いますので、テーマや外部講師のご希望のある方は、当日、ご提案ください。

日時と場所のご案内

  • 日 時:2016年5月21日(土)午後1時30分より
  • 場 所:文翔館第2会議室(正面入口から入り階段を上り、旧政庁の右隣の部屋) 山形県山形市旅篭町3-4-51、TEL 023-635-5500
  • 駐車場:同館北の道路を挟んで反対側にあり
  • 会 費:無料

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会員紹介(第5回)諏訪洋子会員(義姫の会代表、前山形市議会議員)

第5回会員紹介は、「義姫の会」代表で前山形市議会議員の諏訪洋子会員です(2016年3月19日インタビュー)。山形市議会議員として、補助金行政や公務員制度などに対する問題点を追及するなど、既成政党とは一線を画した活動を行い、現在は、「義姫の会」代表として、義姫再評価による観光の振興を目指しておられます。

なお、本会はさまざまな立場や考え方をもった方々が集まって成り立っています。したがって、各会員のインタビュー記事は、必ずしも本会の見解を代表するものではありません。

諏訪洋子会員プロフィール
すわ・ようこ。1963年横浜市生まれ。8歳で上山市に移り住み、上山北中、山形中央高、尚絅女学院短大(英文科)を経て山形新聞社入社。95年に退社後、県スポーツ振興21世紀協会、自営業などを経て2011年5月~2015年4月山形市議。2015年7月、市民グループ「義姫の会」を設立。山形市在住。

就職活動の経験を糧に
―「レモンをもらったら、レモネードにする」

諏訪洋子会員1

生まれは横浜市で、近くに米軍の住宅地(本牧ベース)がありました。そこはフェンスで囲まれていましたが、外国人が身近にいる生活でした。ハロウィンの際には、お菓子をビニール袋いっぱいにもらってうれしかったことを覚えています。

8歳で親の仕事の関係で上山市に移り住んだのですが、外国人はもちろんいないし、冬は寒いしと、カルチャーショックを受けました。でも、子どもだったからか、すぐに慣れることができ、かえって山形が大好きになりました。

上山北中、山形中央高、仙台市の尚絅女子短大(英文科)と進み、就職活動をしたわけですが、そこで初めてつまずきを経験しました。希望する企業に応募して順調にいっていたのですが、自分の些細な手違いでふいにしてしまったんです。その結果、周りが新社会人の生活を謳歌し始めたなかで、就職浪人をすることになりました。

今思えば縁がなかったと考えることもできますが、その当時は初めてのつまずきに唖然。しかし、その時のくやしさから立ち上がるためにメンタル強化の本を読むなど、タフさを身につけることができたと思っています。

たとえば、アメリカの諺で「レモンをもらったら、レモネードにする」という言葉があります。日本流に言えば「梅をもらったら梅干しにする」とでも言えるでしょうか。どんなことも、自分次第で価値のあることに変えることができる、だから、何があっても大丈夫、無駄なことなど一つもないと考えられるようになりました。

私にとって、この就職活動が初めてのレモンだったわけです。そして、初めてのレモネードにもなりました。

山形新聞社で女性活躍の道を開く

就職浪人を経て、山形新聞に入社したのですが、当時のマスメディアは外からのイメージとは異なり、とても保守的でした。男女雇用機会均等法が成立した頃だったのですが、男女差別はまだまだ根強く、女性は結婚したら退職するのが当たり前でした。

ところが、ある日、私が所属していた広告セクションに、先見の明がある上司が放送局から赴任してきました。「これからは女性を顧客にしなければならない時代だ」というのです。当時は、女性用の広告なんて皆無に近く、せいぜい化粧品の広告ぐらいでしたね。下着の広告なんてとんでもないという時代だったんです。

それで、世の人口の半分を占める女性を相手にするには、こちらも女性でなければならないといって、社内の女性を抜擢したチームが作られました。フットワークが軽かった私は、営業担当に抜擢されて、社内初の「アドウーマン」になりました。

もちろん、当時社内に女性の広告営業は前例がありませんでしたので、先輩の男性にサポートしてもらい試行錯誤の日々でした。大変ありがたかったです。やがて『ANNE』という女性向けタブロイド誌を発行することになりました。

当時の広告は文字だけのものが主流だったのですが、ビジュアルや感覚に訴える紙面をつくり、それに合った広告をつくりました。たとえば、ケーキであれば、「おいしいケーキ」と文字を打つのではなく、ケーキを美味しそうに食べている女性を載せてキャッチコピーをつけたりといった具合ですね。

寿退社後、「女性ゆめネット」などさまざまな活動に

新聞社での仕事はとても充実したものでしたが、私も例外ではなく、結婚を機に寿退社しました。1995年のことです。もちろん、「なんで女性は辞めないといけないの」という気持ちはありましたね。そんな経験も「レモン」にして、今日で言えば、男女共同参画への関心につなげて「レモネード」にしました。

退社後は、その当時全国的なブームだった、女性起業家と起業を目指す県内の女性40名で「女性ゆめネット」というネットワークを作りました。 その「女性起業者」の一人に政治や社会活動に関心の高い方がいて、いろんな勉強会に誘ってもらい参加しました。

そのうち山形市行財政改革推進委員を拝命し、市民目線での補助金支出の見直し(1億円削減)を経験することができました。残念ながら、その志しの高い友人は亡くなってしまいましたが、その頃にできた「社会」と「自分」との新しい接点が新しい種となり、私の中でしばらく眠っていました。

その後は、山形県スポーツ振興21世紀協会モンテディオ山形のフロント業務、フリーライターとしておいしい山形推進機構の山形の「美味しい食」を取材しながら県内各地を訪れました。たまたま実家に事務所の空スペースができたので、そこにリサイクルショップ「フォーリーブス」を開業しました。談話スペースなども設け、人の集まる場づくりを試みました。

山形市議会議員として
―女性の視点で独自の活動

諏訪洋子会員2

起業をした一方で、40代も後半にきて「自分にやり残していることはないか」と考えるようになりました。そして浮かんできたのが、先ほど述べた「眠った種」です。政治や社会活動への興味は、その後も薄れることなく続いていました。

とりわけ、時代の変化に適応せず「形骸化」したままの政治・行政、意思決定の場に生活者の視点を生かせる女性が少ないことなどに課題を感じていました。そうだ! 意思決定の場、市議会議員に立候補しようと思い立ちました。

とはいえ、私に政治の経験は一切なく、伝手も何もありません。そこで、2010年の参院選を前にして、みんなの党が山形で党員説明会を開くという新聞記事を見つけて、選挙事務所のインターンシップを申込み、事務所の留守番や、街宣に同行させてもらいました。

2011年の市議選の半年前になって、私も立候補を表明したのですが、そのときに、「今さらだけど」と選挙の指南本を渡してくれた人がいました。それを読むと、「半年前までに後援会を立ち上げ」などと書いてあるわけです。もちろん、私にはそんなものはなかったので、急遽、立ち上げました。政治的には素人の先輩、同級生、女性団体や市民活動で知り合った友人などが協力してくれました。震災直後の選挙で、しかも初めての選挙でしたので無我夢中でした。本当に志のみ!よく立候補したな~と思いますね。

それでも、当時の風に乗って、当選させて頂くことができました。当選後は女性の視点と新しいタイプの議員を目指しあえてタブーにも触れていこう、「是々非々」を貫くなら会派拘束のない「無会派」でいこうと4年間を過ごしました。民間の目から見たら不思議でおかしなことがいっぱい、まずは石を投げて波紋を広げることを目指しました。

たとえば、補助金支出の見直しです。山形市の文化事業の補助金支出には、「山形市補助金等の適正化に関する規則」という補助金の事務処理ルールがあるだけで、いくら? 何年? といった具体的な補助ルールはなく、外から見ると不透明。十年以上経っても一度受け取ると、ずっと同じ額が支出され続けている状態でした。

人口減少もあって財政がいっそう厳しくなることが予想され、自立した地域経営が求められるなか、一般市民に明確な説明ができないやり方はもはや通用しませんよね。

他の自治体では徐々に補助金額を減らしていくサンセット方式の導入や、補助率を明確にするなど、最終的には自立してもらう方向へと切換えが進んでいました。地域を活性化するため行政に求められるのは、自立した事業を地域に作り出していくための支援ではないでしょうか。

そう考えて、文化事業の補助金支出のルールを作るよう働きかけました。その結果、ルールのひな形を作成してもらうところまでは行きましたが、「それまでの経緯があるのですべての補助金事業に一律にルールを適用させるのは難しい」とされてしまっています。

みんなの党が掲げていた公務員制度改革も、民間の目から見えれば共感できるところでした。東日本大震災後、国家公務委員の給与が7.8%削減され、地方公務員も倣うべきだとの要請が国から出た際、県内の自治体でいち早く反対したのが山形市でした。もちろん、私はこれに警鐘を鳴らしました。

実はこの国からの要請は地方に支払われる交付金と連動していたのです。つまり、国の言うこときかないと交付金減らすよ、というものでした。地方自治体が自立性を楯に逆らえば、交付金が減らされ市民サービスに影響が出るしくみです。

「これまで当市は独自に給与削減を実施して成果を上げてきたので、国の勝手な要請には応えない」というならば、そのために山形市交付金が減る可能性がありますと市民に説明する必要がありました。しかし、山形市は「自治体の自立性」の一本やりで、ついに市民に影響に関する説明はなく、交付金が減らされてしまいました。

また、山形市では定年後の再就職を公表していません。いわゆる「天下り」について公表するよう訴えましたが、一人の活動には限界がありました。山形市では指定管理者施設の長は公募が原則となっていますが、実際には公募は少なく市役所OBが就いています。そういう実態すら調べなければ分からない。公金が使われている限り透明性の確保はあたりまえです。指定管理者制度のあり方についての採決では、1:34というシーンもありました。諦めやうやむやよりは、議決で意志を示したいと何度か反対討論にも立ちました。

試行錯誤でしたが1期4年の間に、待機児童ゼロ、山形市男女共同参画条例制定、議会基本条例制定などのメイン公約3つは実現することができ充実したものでした。 このように、私なりに既成とは一線を画した活動をしてきたつもりでしたが、みんなの党の解党もあり、無所属で挑んだ2015年の市議選は、多くの方に応援して頂いたものの、当選には一歩及びませんでした。

「義姫の会」設立
―義姫再評価と山形のイメージアップに向けて

諏訪洋子会員3

堅苦しい政治から離れて、改めて自分のやりたい楽しいことはなんだろうと考えたときに思い浮かんだのが、最上義光の妹で伊達政宗の母であった義姫のことでした。私は歴史が好きなんですよ。特にお姫様。義姫の存在はずっと気になっていました。

義姫といえば、最上義光伊達政宗の両軍が現在の上山市の南部で一触即発の危機にあった時、自発的に両陣の間に輿で繰り出し80日間に及び逗留し、血縁者同士の不毛な戦いを止めさせた女性として有名です。今どきの言葉で言うならば戦国時代の「ピースメーカー」です。

一方大河ドラマ独眼竜政宗』で実の息子を毒殺しようとした母親として描かれてしまって、そっちの「奥羽の鬼姫」というイメージが強く世間に定着していますよね。実は、この政宗毒殺未遂事件は曰くがあります。

最上家には改易の歴史があり史料がない、そのエピソードを記した当時の史料は「伊達治家記録」に残されているだけです。しかし、実際には、小田原参陣遅れの言い訳をするための芝居、伊達家存続のために義姫が濡れ衣を着たことが推測される新しい史料・証拠が発見されています。

つまり、義姫は家族を愛しそのために悪者になったままのお姫様です。 義姫を再評価すべきだとの声もたくさん聞かれる様になりました。伊達政宗ファンだという「歴女」はたくさんいて、観光面でも賑わっているけれど、義姫や最上義光ファンではどうでしょうか。そんな状況を変えたいとも思っています。

そのためには、まずは山形の人たちに義姫のことを知ってもらうことが大切です。それで、「義姫の会」を立ち上げて、講演会の開催から始めているのですが、直近の講演会には200名近い方々にご参加頂きました。そうして機運を高めていくことで、義姫再評価を山形市仙台市にも働きかけていきたいと考えています。義姫に対する誤った印象というレモンも、レモネードに変えることができると信じています。

諏訪洋子会員と伊藤嘉高代表

(2016年3月19日、カフェレストラン・アランフェスにて、聴き手・構成:伊藤嘉高)

第4回ミーティング開催のお知らせ「ここが問題、『TPP正式合意』」

第4回ミーティングを「ここが問題、『TPP正式合意』」と題して3月27日(日)に開催します。

TPPは、日本と米国を中心とした「環太平洋経済連携協定EPA)」の略称で、日本は、アベノミクスの一環として参加し、2015年10月、交渉参加から2年以上を経て大筋合意に至りました(本年、2月に正式合意)。

これにより5年程度をめどに段階的に関税が撤廃されることが決まるなど、世界のGDPの4割を占める巨大経済圏の誕生により、新たな貿易ルールのスタンダードとなることが期待されています。

他方で、その全貌はまだ明らかになっておらず、TPPにより、国内農林水産業が打撃を受けるとともに、私たちの暮らしや社会に大きなリスクをもたらすとの懸念も広がっています。

そこで、第4回ミーティングでは、石川敬義会員(事務局長)に講演頂き、その後、山形県の農業や産業の今後などについて、参加者のあいだで議論を深めたいと思います。

ご関心のある方は是非ともご参加ください。非会員の方も、当日、会員登録(無料)いただければ参加することができます!

ここが問題、『TPP正式合意』画像

主な講演内容

Ⅰ.TPP交渉の背景

  1. 米国政府の日本政府に対する「年次改革要望書
    さながらアメリカ政府の奴隷の日本政府/やがて日本は米国の強欲に支配される国に ほか
  2. 「TPA」報道は「TPA」違い
    実質的な権限は議会にあるアメリカ/アメリカの製薬業界が猛烈に反発
  3. ラチェット規定、地理的表示保護、スーパー301 条、ISD条項
    後戻りできない協定内容、「米沢牛」ブランドも危うい/憲法が保障する地方自治を破壊するISD条項 ほか
  4. 予想外の非関税範囲の幅広さ
    数10 万項目もの商取引を官僚が独断で決めてよいのか/シンガポールのような国にしてよいのか ほか
  5. TPPの本質は「経済のブロック化による世界経済戦争」
    米国戦略主導に変質したTPP精神/ブロック間の経済戦争へ導くTPP ほか
  6. 「TPP対策」の財源は
    社会保障を置き去りにするTPP ほか
  7. TPP対策は

Ⅱ.農林水産の分野

  1. 「重要5品目」の国会決議は守れたのか
  2. 林業と漁業は壊滅か
  3. 重要5品目のコメ
    備蓄米に回す原資は税金だ/畑作による地域特産品開発こそ生き残る道 ほか
  4. 安全安心
    遺伝子組み換え農産物生産国の惨状を知れ/緩すぎる日本のGM食品規制 ほか

Ⅲ.非関税障壁

  1. アメリカの狙いは金融、投資、保険、サービスの開放
    TPP前倒しの郵政民営化、農協改革 ほか
  2. 医療制度が破壊される懸念
    混合診療」が広がり薬価が高騰する恐怖 ほか
  3. 労働
    ILOの中核的労働基準の2条約を批准していない日本 ほか
  4. 電気通信
    リスクとチャンスが併存 ほか
  5. 電子商取引
    さらに危険、「国境を超える情報移転」

など

開催日時と場所のご案内

  • テーマ:ここが問題、「TPP正式合意」
  • 日時:2016年3月27日(日)13時30分より
  • 場所:やまがたまなび館(地下「交流ルーム8」)
    山形市本町1-5-19(旧第一小学校跡)、TEL 023-623-2285
  • 駐車場:同館西側の道路(北から南へ一方通行)を隔てたところに40台収容の無料駐車場あり。満車の場合はさらに南の山形市民会館地下駐車場(有料)あり。
  • 講師:石川敬義氏(政策研究ネットワーク山形・事務局長)
  • 会費:無料

ご関心のある方は是非ともご参会ください。非会員の方も会員登録(無料)いただければ参加することができます!

会員紹介(第4回)堀川敬子会員(天童NPO支援サロン設立者・山形県まちづくりサポーター)

第4回会員紹介は、天童NPO支援サロン設立者で現在は山形県まちづくりサポーターの堀川敬子会員です(2015年6月7日インタビュー)。まちづくり系NPOの先駆けとして、行政の補完団体にならないNPO、市民活動の実現に尽力されています。

なお、本会はさまざまな立場や考え方をもった方々が集まって成り立っています。したがって、各会員のインタビュー記事は、必ずしも本会の見解を代表するものではありません。

堀川敬子会員プロフィール
ほりかわ・けいこ。主婦。山形県まちづくりサポーター。天童市生まれ。東京のIT企業勤務を経て、家業の青果物卸業に従事する傍ら、天童青年会議所の地域づくり事業や、「平成鍋合戦」(天童青年会議所青年部主管)の実施に参画。2001年にNPO法人「天童NPO支援サロン」を設立し、「コミュニティ・ビジネス」の創出及び啓発活動や、「国際ジャズフェスティバル in 天童」「ふるさと山形塾」など各種事業に取り組む。2008年、結婚を機に山形市へ転居、2009年に天童NPO支援サロンを解散、2011年、男児出産。

東京でのIT企業勤務を経て故郷、天童へ

堀川敬子会員(山形県まちづくりサポーター)

実家が青果物の卸業(株式会社ながせ/フルッティア)を営んでいたので、両親は忙しく、お手伝いさんと過ごす時間が多かったですね。だから、親との関係もべたっとしておらず、わたしのやりたいことに口を出すこともありませんでした。NPO立ち上げの際も「やりたくてもできない人がいるのだから」と応援してくれましたし、今日までの人間関係に築き方につながっているように思います。

高校を卒業した後、東京の大学に進学し、バブル景気の真っ只中、ITベンチャー企業に就職しました。でも、故郷への思いはずっと抱いていたんです。山形新幹線も開業し、情報インフラも発達し、東京と山形の距離も近づいていたので、あえて東京にいることもないなと思って、26歳の時に帰郷し、家業を手伝うことにしました。

専用の請求書発行システムをプログラミングしたり、会社のシステムを管理していたエスアールプランニングでも働き、地元の知人が手がけていたコミュニティ雑誌の編集や制作も担当したりしました。

fruttier.com

「天童NPO支援サロン」立ち上げ―「仕方ないからうちがやる」

仕事を通してさまざまな業種や地域の人たちに接するうちに、だんだん市民団体や活動に興味を持つようになったんです。最初は軽い気持ちで天童商工会議所の青年部や青年会議所に顔を出していたんですね。青年会議所では3年間活動して、時間をかけて議論してさまざまな提案が行われましたが、なかなかまちを変えることは難しく、なぜだろうという疑問が生まれるようになりました。

そうしたなか、2000年に県のNPO支援センターの会合に参加した際、大川健嗣先生たちから「これからはNPOの時代だ」という話を聞きました。当時は「NPOって儲かるの」くらいの認識でしたが、NPOは社会に利益を生み出す存在であるということを学んだんです。そこで、一念発起し、2001年に「天童NPO支援サロン」を立ち上げることになりました。

藤工業の工藤さんに代表を務めて頂き、出羽桜酒造の社長さんやふれあい天童の加藤由紀子さんにもメンバーになってもらい、人も集まりました。実家の店のスペースを間借りしたのですが、とはいっても、立ち上げ当時は、どこから手を付けたら良いのか……。飲んで話をするなかでアイデアを出し合いました。天童高原の自然を活かす懇談会を開催したり、天童の国際JAZZフェスティバルに実行委員として参加したりしました。

 2002年10月から村山総合支庁のコミュニティ・ビジネス支援事業を受託してから、地域づくりコーディネーター養成講座(ふるさと山形塾)を開催したり、むらやまコミュニティサロンを開催したり、大川塾を開いたり。そうした活動をするなかで、行政からさまざまに声がかかるようになりました。

当時は、まちづくり系のNPOがほとんどなく、きちんとした結果の出せるところも少なかったので、私のところに意見を聞きに来たり、検討会などの委員になってくれという話が来るようになりました。行政とべったりだったわけではなく、「仕方ないからうちがやる」といったスタンスで、来るもの拒まず、話があれば何でも引き受けました。

まちを変えるには―行政とのほどよい距離感が大切

堀川敬子会員(天童NPO支援サロン)

そうしているうちに、行政のなかも見えてくるようになりました。結局は人なんですよ。もちろん政治も必要なことですが、企画したり立案したりするのは行政の職員なので、担当者がいかにしっかりしているかで、まちが全然違ってくることが分かったのです。とくに、県の「やまがた集中改革プラン」の推進に関する第三者委員のときに、担当職員の方に接して、その思いを強くしました。

だから、社会を変えたいと思ったら、いかに行政の内部のなかで本当に実力のある人に話をもっていけるかどうかが大切なんです。そこで、NPOの取り組みも、そうした人たちをつなぐネットワーク作りとファシリテーションを重視したわけです。

考えてみれば、わたしの活動の原動力も、やっぱり、人との出会い、人とのつながりなんです。2003年から観光農業のプロデューサーとして有名な寒河江の工藤順一さんの秘書のようなことをさせていただいた時期がありました。工藤さんは行政に対して素で思ったことを言うような人なんです。でも、行政の職員も自分の担当にこだわらず熱意があり汗のかける人であれば、そうした人同士の出会いがまちを変えていくきっかけになるんです。

www.mlit.go.jp

行政に対峙して批判することも大切ですが、実際に行政を変えていくのは、押したり引いたりする、ほどよい距離感によって作られる関係なんですよ。行政の下請けではないパートナーシップのあるべき姿だと考えています。工藤さんとの出会いによって、そのことを実感させられ、わたしもまた変わっていくことができたのです。

新しいつながりの形成に向けて

心残りもありましたが、結婚して山形に移り住んでから、時間がなくなり、NPOもたたんでしまいました。やはり、土日や夜の活動が多いので、結婚・出産すると、アクティブに動けなくなったんです。

出産したときに思ったことですが、普段生活しているだけだと気づかないことが多くて、周りにも知っている人がいないんですね。昔は、ごちゃごちゃした人間関係のなかで生活していたので、いざというときにもどこかに助けてくれる人がいて、孤立してしまうことはなかった。

だから、最終的には人がつながることがまちづくりであり、安全と安心につながることなんだと思うんです。たとえば、会社員としてのつながりだけでなく、地域の多種多様なコミュニティをつくっていくことが大切です。

いまは子育て真っ最中ですが、家の蔵にはいろいろな人が集まってくるので、そういう場にまだ小さい息子も参加させて、勉強してもらっています。今後は、もっと地域に開かれた子育ての場になっていけばよいと考えています。

もちろん、今でも、チェリアの会などの活動で意見は出し続けています。しゃべれば必ず誰かが耳を傾けてくれます。子育てが一段落すれば、同じような立場にある女性たちも巻き込んで、これまでに培ったネットワークも活かして、新たな人のつながりを作り出していきたいと考えています。

もちろん、気が合わない人と無理して付き合うことはしなくていいと思いますよ。義理と人情がNPOです。一時期でも一生懸命やって付き合っていれば、多少離れても、つながりは保ち続けることができます。ひとつのきっかけを無駄にしなければ、人は変われる。そして、本人が変わると、その周りも大きく変わっていくんです。

堀川敬子会員と伊藤嘉高代表

(2015年6月7日、堀川家の蔵にて、聴き手・構成:伊藤嘉高)

「『市民のための市政』を梅津庸成氏と語る会」を開催します

政策研究ネットワーク山形の有志により、下記会合を開催します。

  • テーマ: 「市民のための市政」を梅津庸成氏と語る
  • 日 時: 8月26日 午後6:30〜7:30
  • 場 所: 「学び館」第2交流室(山形市本町1-5-19)

開催趣旨(石川敬義事務局長)

梅津庸成(山形市長選挙立候補予定者)

梅津庸成氏(山形市長選挙立候補予定者)は「市民のための市政」を掲げ、中央政府トップダウンではなく「自分たちのまちは自分たちで創る」というボトムアップの真の住民自治、市民本位、市民起点のまちづくりを訴えております。

住民自治は市民一人ひとりの意識と同時に自治組織の原点である町内会や振興会の自治意識が重要になります。ところが山形市の現状はとても理想的な状態とは言えません。

当政策研はかねてコミュニティや住民自治の在り方について調査研究してきました。そこで、問題意識を候補者と共有したいと思い懇談会開催を梅津氏に打診したところご出席を快諾して頂きましたので、特別例会を開催致します。

出席の方は、石川まで連絡願います。非会員で参加を希望される方は、ブログ右上のメーリングリストに登録してください(追って会員登録をしていただきます)。会場のスペースの都合で先着順に受け付けます。

次第

1. 発起人挨拶(石川事務局長)

2. 意見発表

(1) 真の住民自治とは(石川敬義会員)

(2) 町内会の現状と課題(小野仁会員)

(3) 仙台市山形市とを比べて(玉津菊子会員)

(4) 市民活動の視点から(齋藤和人会員)

3. 梅津氏と意見交換

※「学び館」(旧第一小学校跡、山形市本町1-5-19、℡623-2285)。駐車場は旧第1 小学校の西側の北から南へ向かう一方通行道路を挟み西側に無料で駐車可。駐車場の受け付けは無くなりました)

※例会は意見発表者を含め出席者全員から一人¥500の参加料を頂戴する規則になっております。よろしくご協力をお願いします。但し、ゲストはこの限りにあらず。

参考リンク

www.umetsuyosei.jp

twitter.com

会員紹介(第3回)茂木孝雄会員(天童市議会議員)

第3回会員紹介は、天童市議会議員の茂木孝雄会員です(2015年1月18日インタビュー)。あくまで市民の「代理者」として、天童市の議会、行政の問題点に立ち向かい、「おかしいことはおかしい」と言える社会の実現に向けて奮闘されています。

なお、本会はさまざまな立場や考え方をもった方々が集まって成り立っています。したがって、各会員のインタビュー記事は、必ずしも本会の見解を代表するものではありません。

茂木孝雄会員プロフィール
もてき・こうゆう。天童市議会議員(無所属、無会派)。1948年天童市生まれ。山形東高校、一橋大学経済学部を卒業後、東レAIU財務部長、東北パイオニア取締役経営戦略部長などを経て、2011年より現職。

東京での民間企業勤務を経て故郷、天童へ

茂木孝雄会員01(天童市議会議員)

1948年に天童市の現田鶴町で生まれました。天童駅南に位置する地区なのですが、あのあたりは織田信雄にはじまる天童織田藩の家臣たちが住んでいた町です。藩校が養生館という名前だったので、子孫たちで養生(ようせい)会という組織を持っており、わたしの家も家老職だったようで、父親がその会長を務めたこともありました。

両親ともに教師で、兄と妹も教師ですが、わたし自身は、教師の仕事以上にビジネスの世界や実態経済に興味があったのですね。東京の大学を卒業してから、東レを経て、AIGグループのAIUで人事企画や財務・資産運用の仕事をしていました。

ところが、1985年に、天童に住んでいた父親が倒れてしまって介護が必要になってしまいました。そこで、山形とは縁もゆかりもない妻が二人の子供と一緒に戻って介護をし、父親を看取ってくれました。たくましくやさしい妻でした。ただ子どもたちも思春期に差し掛かりましたので、都会でのビジネスマン生活を諦め、3年後に私も天童に戻ることができました。

というのも、当時、ヘッドハンティングの会社を経営していた大学の先輩が、トレーダー等のヘッドハント営業に来た際に、冗談交じりで「ぼくこそが、山形に戻る必要があるのだけど」という話をしたことがあったのですね。そうしたら、その先輩が山形の会社を探してくれて、それが東北パイオニアだったのです。東北パイオニアに勤務しながら、後半は取締役を務めました。会社の東証上場作業を担当して上場を成し遂げ200億円ほどを調達(残念ながら私が退職して数年後には上場廃止)したり、バレーボール部長を兼務してVリーグの昇格させたり、今は無くなりましたがオルゴール館を建設を手がけたりもしました。

ちなみに、私が帰郷して7年後に妻はがんで亡くなってしまったのですが、後妻に来てくれた前妻の妹が、今度は母親を看取ってくれました。私の議員活動も理解し、有能な秘書役として二人三脚の活動をしてくれています。妻となった二人にと義両親に対しては、感謝しても感謝しきれません。

地元の「志」ある仲間たちの「代理」で市議会議員に

天童に戻ってからは、会社に勤務しながらも、地元の仲間たちとの交流の中で、地域づくり=政治(?)に発言する機会も少なくありませんでした。同級生が『サンデータイムス』というミニコミ紙を出していたので、それに匿名で市政への異見や提言を書いたりしていましたね。

勤め人の生活を終えてからは、天童市の行政、議会、市議会議員のありように対する注文や不満を外野席で叫ぶだけではなかなか改善されないという思いも強まり、2011年9月の市議選の4か月程前に賛同する仲間と、天童世直しと銘打って「天の風」(後に「天童みらい・市民ネットワーク」に改称)という市民活動グループを立ち上げました。市民の目線・市民の感覚で、市民のために働く市議会に改革しようという市民団体です。「合併をしないまちづくり」を宣言し、大胆な行政改革や議員報酬の日当制などを推進してきた矢祭町の根本良一前町長の講演会なども開催したりしました。

そして、「市議会改革」を重点課題のひとつに掲げて、4か月ほど先に迫った市議選に向けて何人かの候補者を募ったのですが、なかなか候補者は現れず、私ともう一人が立候補することになりました。市議選と言うのは狭い世界での選挙ですから、人脈・血縁・商売・地元等のしがらみが強いものです。地元で特に自営業をしている場合は、それなりの覚悟が無いと難しいのかもしれません。特に天童市は保守色が強く、また損得抜きの市民レベルの活動が育ちにくい風土にありますので、「表には出られないけど、陰ながら応援します」というようなケースが多いように思います。私は、「天の風」の発起人の立場もあり、しがらみもなかったので、立候補を決断しました。

幸い、陰ながら応援してくれる方々もたくさんいたことで、実質3カ月弱の活動ではありましたが、1,000票近くをいただき、当選させていただき、議員活動を始めることになりました(もう1名は、落下傘候補ではありましたが善戦及ばず惜敗しました) 。

サンデータイムス紙面

自らの議会活動や意見は、天童市内全戸配布されるようになった『サンデータイムス』のスペースを、もちろん自費で購入して、毎月「市議会レポート」として報告しています。

二元代表制の一翼を担う役割を持ちながら、行政の監視・行政への提案の役割を充分に果たしていない市議会や行政の実態と問題点を市民の方々に共有してもらうことが大切であると考えているからです。お蔭さまでこの記事にも結構な反響があり、市内外、時には東京からもご意見や要望などを頂き、議員活動に取り入れさせていただいています。

あるべき市議会議員の姿とは

天童市に限らず、自治体の職員は、一般市民や地域の町内会長等(地域の問題を一番体感している方々です)が訴え、要望してもなかなか動こうとしません。一方で、市議会議員が働きかければ、全ての要望を聞くとは言いませんが、俊敏に反応するというきらいがあります。

そのため、市民自身が、「自分の地域にも議員が必要だ」と考えてしまい、議員定数を減らそうという話につながって行きません。本当に地域のことを理解しているのは町内会・自治会や地域住民なのだから、市の職員たちこそが、地域の声に耳を傾けるという姿勢をもっともつようになれば、議員のありかたも変わっていくはずです。市議会の改革と共に行政改革が必要なのですね。

それはともかく、地方議会議員のありかたとして、私が共鳴しているのが、つくば・市民ネットワークの取り組みです。市議会議員は生業ではないとして、2期を限度として、議員の職をネットワーク内のローテーションで回していくのです。そして、議員報酬の50%をネットワークに寄付して、そのお金はネットワークで行う調査研究の費用に充てられます。あくまで議員は市民の「代理者」の位置づけなのです。

実際、何期も議員を続けていては、ボス化したり、議席にしがみつくようになり、生業化し、選挙で当選することが最優先となり、改革の妨げにもなってしまいます。さまざまな職業で現役として能力を発揮している人や実績を挙げてきた人たちこそが集まってできる多様性あふれる議会からこそ、地方を変えていく力が生まれてくるのではないでしょうか。

山形でも庄内町長が以前、問題提起して話題になりましたが、わたしは、優秀なサラリーマンの方でも議会に参画できるよう、議会を夜間や休日などに開催するようにして、議員報酬も日当制(あるいは定額との併用制)にしていく必要があると考えています。議会の会議が平日の10時に開催(特別の場合以外は殆どが1~2時間で終わります)では、ビジネスマンや自営業者などの兼業議員は難しい。議員は非常勤職なので、本来兼業可能ですし、実体験した立場からも、充分に可能です。

天童市議会の問題点

天童市役所

天童市議会では、市議会改革委員会が設置され、10名の委員によって議論が重ねられ(無会派からは共産党1名のみだったので、私は委員に入れませんでしたが、「申し入れ」書を出すとともに、傍聴をつづけました)、議会報告と意見交換会の実施、議会基本条例の制定などが実現しました。その点では数歩前進しましたが、議員定数・議員報酬の削減については、「議員の役割・仕事とはどういうものか?」「議員の役割の対価として適正な報酬はいかほどか?」「議員が果たす役割を踏まえた議員の定数は何人か?」などの議論には踏み込まず、他市との比較や議員の生活保障といったレベルの論議から脱することができず、定数は据え置き、報酬は期末手当加算減額による年22万円削減にとどまっています。

本来、市議会は市長・執行部を監視し、政策提案をする義務があります。ところが、選挙の段階から市長支援を公言したり、市長執行部の与党的会派の議員がいます。与党会派が多数であり、結局は市長・執行部の敷いたレールに沿って市政が動いてきます。結果的には、市長・執行部の追認機関になってしまっています。

公開の場で、議員同士が議論し、議会として合意する。議会として、納得できるまで市長執行部に説明を求める。そしてその結果を市民に説明していくことこそが市議会の使命ですが、これまでの天童市では、天童市民病院の経営問題や、芳賀地区の開発内容・新駅設置など、議会としてもっと議論する重要課題はあったはずですが、議論が深められ、市民が納得する説明をすることが不十分でした。大きな怠慢と言えます。

その一例として芳賀地区の区画整理事業についてお話ししましょう。

芳賀地区区画整理事業(天童芳賀タウン広告)

芳賀新駅(無人駅、2015年3月「天童南駅」として開業)を全額(駅前広場整備を含め総額約9億円)天童市が負担して設置するという計画自体、その目的や費用対効果の是非が論議不十分でした。また、市が子育て支援施設を整備するために、区画整理事業地内に10,475㎡の土地を約4億7千万円で購入したことも大きな問題です(その他雨水排水調整池整備の突然の場所の変更と費用負担の問題もあります)。その政治的背景については触れないでおきましょう。

ただ、1㎡当り4万5千円なので、100円違うだけで、市にとっては100万円の損失になります。市民の大事な税金が無駄なく、適正に使われているのかの重要問題です。

これに対して、市議会の環境福祉常任委員会では、購入価格の評価基準があいまいで説明が納得できないと、2012年9月26日と10月4日の両日に議論され、賛成2、反対4で否決されました。ところが、10月11日の本会議では一転して賛成11、反対10の僅差で可決してしまいます。なかには、常任委員会で反対しながら本会議で賛成した議員もいました。

自治体等が公共用地を取得する場合の土地の評価算定は、一定の基準に基づき適正に算定することと「用地事務取扱要領」で規定されています。その適正な評価による取得を行うための基礎資料として、「不動産鑑定士による鑑定評価」を使うことにもなっています。

今回の用地取得に際しては、「保留地であるから鑑定評価になじまない」という不可解な理由で鑑定評価を行っていません。後からわかったことですが、区画整備組合の「言い値」で合意されてしまっていました。

ともあれ、問題の核心は、適正に用地取得の事務手続きが進められてきたのか否かです。したがって、今回のように議会で多数決で可決されたからと言って、用地価格の評価算定の適正さが担保されたとは言えないのです。

そこで、わたしは、交渉過程の具体的な内容や執行部側で行った土地の算定評価の内容の情報を公開するよう請求手続きを行いました。その結果、公開された関係資料を見る限りでは、適正な土地価格の評価調書も、備えておくべき適切な交渉記録もありませんでした。そして、1㎡当り45,000円という取得価格は、売り手である区画整理組合が要求した価格に過ぎなかったのです。しかも、区画整理組合の鑑定評価は2006と2007年に行われただいぶ前のものでした。

天童市初の住民監査請求、住民訴訟
―芳賀地区土地区画整理事業問題

有志議員が環境福祉常任委員会の開催請求を行い、市長執行部に対して説明責任を果たすことを求めてもらちが明かないので、わたし個人も市民の一人として情報公開請求に引き続き「住民監査請求」で、納得できる説明を要求していくことにしました。

市議会議員が監査請求をするのはいかがなものか」「議会に文句を言いたいなら議員を辞めてから言うべきだ」といった、わたしに言わせれば錯誤はなはだしい批判も起きました。市議会として放棄した役割は、市民の代理人である議員個人としてでもやるべきだと思います。

この活動を引き継いでくれたのが、県職員OBの同級生です。監査請求は監査委員に棄却されてしまいましたが、やはり私の大学の先輩でもある市民オンブズマン山形県会議の弁護士グループにも協力してもらい、2014年2月に山形地裁住民訴訟を起こしました。「過大な税金を使い、天童市民に損害を与えたので、天童市長は天童市に対して、少なくとも5,300万円を返還すべきだ」という論旨です。住民監査請求も住民訴訟天童市で初めてのことです。

現在のところ、この住民訴訟によって、平成22年2月に保留地の平均分譲価格は42,400円に引き下げられており、市はそれを知りながら、組合の主張通りの価格45,000円に同意したことが明らかになりました。そして、市は、「24年6月頃に組合が提示した価格の算定資料を検証した」と主張していますが、「誰が」「いつ」「どのように」検証し、市長がどう確認して最終決定したのかについて、文書も提示せず、「瑣末なものであり、釈明に値しない」と主張するばかりなのです。

結局のところ、こうした問題の多い土地購入問題を、市議会は納得できる説明を求めずに承認し、監査委員も住民監査請求に対して詳細な調査を示さずに却下したわけです。このことから分かるように、議会は執行部に対する監視機能を果たしていないと考えざるを得ません。

市議会への挑戦を求む!
―「おかしいことはおかしい」と言える社会へ

茂木孝雄・伊藤嘉高写真

地方議会の議員定数削減、議員報酬削減というと、表面的な歳出削減額のみがクローズアップされますが、目指すべきは、その先にある政治・行政機構の改革です。市議会を市議会自らで改革することはなかなか難しいことと感じています。市議会や議員自身に不利な事を、議会や議員が自ら決断することは不可能と、議会の中に入って実感しています。住民訴訟もそうですが、市民がしっかりと考え、発言し行動することが不可欠です。

そして、市民の目線で発言・行動する議員を増やすことも重要です。地方は「与党体制の議会」が多く、市民も「お上」が決めたことには逆らわないという意識も強いため、市民が「おかしいことはおかしい」と発言しにくい風土にあります。

市民が、自分の損得を基本に行動することをすべて否定はしませんが、100%損得で判断するのではさみしすぎます。「おかしいことはおかしい」と判断する割合を、少しでも高めてもらいたいと思っています。ひとりの市民の勇気が、多くの市民の意識と政治風土を変えて行くきっかけになれば素晴らしいことです。市議会への「参入障壁」は低くはありませんが、幅広い市民各層が挑戦できるよう、わたしの活動も続けていきます。

(2015年1月18日、ホテルメトロポリタン山形にて、聴き手・構成:伊藤嘉高)

会員紹介(第2回)小野仁会員(山形市議会議員)

第2回会員紹介は、本会の前身である「ローカルマニフェスト推進ネットワーク山形」設立当時から活躍されている山形市議会議員の小野仁会員です(2014年9月23日インタビュー)。さまざまなかたちで市民とネットワークでつながることにより、開かれた議会の実現、地域自治の活性化に尽力されておられます。

なお、本会はさまざまな立場や考え方をもった方々が集まって成り立っています。したがって、各会員のインタビュー記事は、必ずしも本会の見解を代表するものではありません。

◆小野仁会員プロフィール
おの・ひとし。1953年、山形市生まれ、ブリヂストンタイヤ山形販売勤務を経て、1990年に独立開業。各種地域団体・民間団体の役員、小中学校PTA会長等も歴任し、2003年より山形市議会議員。現在は、環境建設委員会委員長、山形市青少年問題協議会委員、山形市住居表示委員会委員、保護司、山形市青少年指導センター指導員、NPO法人山形県喫煙問題研究会常任理事、NPO法人障がい者情報支援ネットワーク・あいむネット理事、山形県防災士会副会長等も務める。

民間会社勤務から独立開業へ

小野仁会員02(山形市議会議員)

山形市香澄町の南追手前(現城南町)で生まれ育ちました。近所の人からは、この歳になっても、子どもの頃と同じように下の名前で呼んでくれるんですよ。山形中央高校を卒業してからは、東京で予備校生活を始めたのですが、親との約束で生活費をアルバイトで稼ぐようになってからは、いろいろな仕事に精を出す毎日になってしまいました。

そうした生活を送っていたところ、小学校の教師をしていた母親が狭心症で倒れてしまったのです。これ以上親に心配をかけさせるわけにもいかないということで、急遽、山形に戻り就職活動をしました。

営業に向いている人間だと思われたのか、運良く、ブリヂストンタイヤ山形販売に採用してもらいました。入社してからの仕事は順調で、営業成績もトップクラスで、昇進も早かったですね。そして、36歳の時に独立することになりました。当時は、各地で拠点形成によるエリア進出がはかられていて、その流れを受けて、会社からも30%の出資を得て山形市江俣に有限会社を立ち上げました。

社会貢献と政治行政への関心

独立した頃から、パートナードッグの飼育を個人的な趣味にしていて、麻薬探知犬、セラピードッグや補助犬を育てたりしていました。育てた補助犬福祉施設に預けられたことで、障害のある方たちと初めて接することになりました。自分たちが普段生活している社会とは「別の社会」を見たわけです。

「この人たちのために何かできることはないか」という意識が芽生え、福祉関係で新たな人間関係が生まれていきました。市議会議員になった2003年に日本パートナードッグ協会を立ち上げていますが、これは議員になる4~5年前から準備を重ねてきたものです。日本パートナードッグ協会は、数少ない介助犬の認定団体にもなりました。

福祉以外でも、さまざまな地域活動に参加していましたね。町内会や小中高のPTA等の役員活動といった活動はもちろんのこと、当時は自民党にいた鹿野道彦さんの勉強会にも参加したり、当時の山形大教授(現・東北文教大学教授)の大川健嗣教授の山形塾にも参加していました。人とのネットワークの多くはこの山形塾で築かれたものです。仕事も忙しかったのですが、やはり地域社会と関わるのが楽しかったんですね。

人生に転機が訪れたのが、仕事で独立してから10年後のことです。自分の店の敷地が県道拡幅の対象地になってしまったのです。このとき、立ち退きの補償をめぐって県と交渉することになったのですが、県の高飛車な態度にあきれ果てました。ただ、当時は流通革命のさなかで、元の販売会社からも教えてもらっていたことなのですが、メーカーがリテールも手がけるようになり、タイヤの販売業もだんだんと厳しくなるという時期でもありました。

また、同じ時期には、実家のあった地域も市による区画整理の対象になっていました。そこでは、高校時代の同級生もやはり大いに苦労していて、行政不信を募らせていました。それがきっかけで、同級生たちから「自分たちの同窓会からも政治家を出して、行政の風通しを良くしよう」という機運が盛り上がったのです。

わたしは同窓会の役員をしていて、ちょうど自分の仕事も転機を迎えていたこともあって、会長と副会長からも市議会議員への立候補を打診されました。物怖じしない性格を買ってくれたのでしょうか。私は政治家の秘書でもなければ、業界団体が付いているわけでもなく、同窓会からの応援という、いわば口約束だけだったのです。それでも、妻も何も言わず協力してくれて、立候補することになりました。

今考えると、よく立候補したなと冷や汗が出ますよ。さまざまな地域活動や福祉活動で培われた社会貢献に対する思いをかたちにしたいということが背景にあって、行政のやり方に対する義憤にかられて、立候補してしまったんですね。地区町内会長も応援してくれて、何とか当選することができました。2003年、49歳の時です。

中道の立場から社会的包摂を目指す

市議になった当時は無所属で、拉致問題などで自民党の沢渡和郎県議とも一緒に活動していました。福祉関係では、福祉に強い政党の議員が頑張っていましたが、それらの政党は党派性が強く、わたしはあくまで中道の立場から、何かに縛られることなく自由に是々非々の活動がしたかったのです。

ただ、翌年には、私が市議になる前から勉強会に参加させてもらっていた鹿野さんが民主党に復党したのをきっかけに、私も民主党に入党しました。社会的包摂という理念に大いに共感したからです。もちろん、理念だけではダメで、国政で民主党が批判を受けたように、具体的な政策展開がしっかりしていなければなりません。

私は、民主党に入党した年に、北川正恭三重県知事(早稲田大学大学院公共経営研究科教授)が始めた地方自治の勉強会に参加したことで、政策志向の地方政治家という像ができあがりました。これからの時代は、地方議員も勉強しなければならないとの思いを強くさせられたのです。

それがきっかけで、54歳になって、大川教授の勧めで東北文教大学に入り、卒業後は山形大学人文学部に編入学し、公共政策を学びました。そこで出会った北川忠明教授や石川敬義さんたちとで、北川前知事の提唱していたローカルマニフェストを推進するためのネットワーク組織(政策研究ネットワーク山形の前身)を立ち上げたわけです。

政治家の役割というのは、人びとが抱えている問題はさまざまありますが、そのなかでも政治行政で解決すべき普遍性をもったものを明らかにして、問題解決のために政策・制度面でできることを考え、その実現に向けて取り組むことにあります。

ところが、そうした活動の要をなすはずの選挙公約について、検証がなされることはありません。実際、市のマスタープランなどの政策に関心を持ちエネルギーを注ぐよりも、陳情に対応し、地域密着型で活動した方が選挙で票が集まるのです。

市の事業項目は1,800から2,000にも及ぶので、そのすべてのスペシャリストになることはできません。わたしは社会的包摂、インクルージョンの立場から、新自由主義路線とは一線を画して、福祉と教育で役割を果たしていきたいと考え、政策重視の議員活動に取り組んできました。私は経営者でもあるので、もちろん、市の財政にも目を向けています。

現在は、2013年からは山形大学の大学院にも進学し、障害者の参政権について研究を進めています。とくに視覚障害者の投票行動に現制度では十分に対応し切れていない点を明らかにするとともに、実際に、政治家として、選挙公報のあり方など、制度的に改正すべきことを提言し実行してきたいと考えています。

どうしても、福祉や教育に対する政策は、自分たちとは違う人に対して施しをすればそれで良いとしてしまう人がいるのですが、社会的包摂というのは、福祉の対象となる人も、自分たちと同じひとつの人生を過ごしているのだという目線で、社会参画を実現させていくことなのですね。

また、最近は、在宅医療・在宅介護について根本元先生たちの山形在宅ケア勉強会にも参加して、在宅での生活を多職種で支える地域包括ケアシステムの整備について政治的に支援できることを考えています。

地域自治の活性化に向けて

小野仁会員01(山形市議会議員)

ただし、私がやっているような活動は、特定の支持者の声を代弁するものではなく、誰が自分の活動を支援してくれているのか目に見えにくい。ネットワーク型で自由に人とつながっていくことが理想ですが、ホームページで政策発信しても、見てくれる人は議員の仲間や行政の職員に限られています。実際問題、政治家にとって「誰が投票してくれるのかわからない」状況はとても不安なのです。

最近では、政府の集団的自衛権行使容認に対する反対意見書の提出を求めたり、山形市公契約条例の制定に賛成したりしましたが、公契約条例の制定は否決されました。公契約条例によって、従来の入札制度によるダンピングを防止し、「総合評価一般競争入札」を導入することで、就職困難者の雇用を促進したり雇用の質を改善したりするとともに事業の社会的価値を高めるというものです。

こうしたテーマごとに党派性にかかわらず是々非々の立場で判断していると、支持者の方々から「見損なった」と言われることもあります。丁寧に説明していくしかありませんが、私の場合は、2期、3期目と少しずつ当選順位を上げているので、見えないところで支持してくださる方も増えているようです。

現在、山形市議会では市内8か所で地域報告会を開催していますが、昨年度は全会場で20数名しか集まりませんでした。天童や上山では1会場で20人位集まるので対照的です。地方自治の質の向上には、市民の方々に地方議会にもっと関心を持っていただくことが欠かせません。

私も山形大学インターンの学生を受け入れるなど試行錯誤をしていますが、いずれにせよ、向かうべき社会の方向性と、そのためにすべき具体的政策をしっかりと打ち出して、市民の方々に共有してもらえるよう、私たちがもっと頑張らなければなりません。

政策研究ネットワーク山形では、これからも党派や立場にとらわれることなくさまざまな立場の人が集まり、さまざまな課題について自由に討議を交わし、あるいは、さまざまな組織をつなぐことで、インクルーシブな社会の実現に向けたネットワークを広げていきたいですね。

(2014年9月23日、カナレットにて、聴き手&構成・伊藤嘉高)

参考リンク