政策研究ネットワーク山形(ブログ版)

組織の垣根や立場の違いを乗り越え、山形の人と知をつなぐ

会員紹介(第1回)石川敬義事務局長(元山形新聞論説委員、前荘銀総合研究所理事長)

政策研究ネットワーク山形は、県内のさまざまな方々が自由に集まり、山形の人と知のネットワークの拡大と深化を目指しています。そこで、このブログでは、会の活動報告に加えて会員紹介も積極的に行っていきます。第1回は、本会の前身である「ローカルマニフェスト推進ネットワーク山形」設立当時から活躍されている石川敬義会員にお話を伺いました(2014年6月7日インタビュー)。

石川会員は、山形新聞社勤務時代に「本音が表に出ない」現実に直面し、新聞社を退職するとともに、本音で付き合う地域活動に傾倒し、独自の発言を活発に続けておられます。

◆石川敬義会員プロフィール
1942年、山形市生まれ、政策研究ネットワーク山形事務局長。元山形新聞社論説委員、前荘銀総合研究所理事長。現在、県「つや姫」戦略本部委員、県公共調達評議委員会委員、県ベストアグリ賞審査委員、荘内銀行ふるさと創造基金運営委員、山形市コミュニティファン評議員等を務める。この間、国の農村工学研究所(つくば市)非常勤監事、東北農政局評価委員会委員、日本観光学会会員、国際政治学会会員、計画行政学会会員、行政経営フォーラム会員、環境情報センター会員、県生涯学習センター「山形学」企画委員会委員長、県景観審議会委員、山形市行政評価委員会委員長、最上町行財政改革推進懇話会委員長、鶴岡総合研究所顧問、山形大学や東北文教大学の講師などを歴任。

少年時代、学生時代を振り返って

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石川敬義会員

大学は、早稲田大学の第一法学部に進んだのですが、当時は60年安保のさなかで、やはり学生運動に加わりました。ただ、全学連の思想に傾倒したというよりは、苦学生だったので学費値上げ反対の気持ちからですけど。大学の近くに下宿していて外で騒いでいる声が聞こえると、尻がむずむずしてしまう性格だったので、成り行きで運動のリーダーになってしまいました。結局、機動隊にやられてしまって、挫折を味わうことになりましたね。

山形新聞の記者として―山形県の農政と経済を追う

大学卒業後は東京に残る道もあったのですが、東京は人工のコンクリート・ジャングルで人の住むところではないと感じていました。自然に囲まれた山形の良さを再発見した訳ですね。それで、山形新聞社の就職面接を受けたところ、なぜか学生運動のことを聞かれなかった。それで運良く受かってしまったので、山形に戻ることになりました。

入社当初は社会部で警察回りを担当し、その後は農政や経済を担当するようになり、東京支社編集部長時代は首相官邸や国会や省庁回りで多忙でしたが、やはり東京暮らしは合いませんでした。本社と支社・支局(鶴岡、村山、長井、東京)をいったりきたりしました。報道部と違い勤務時間が決まっている整理部時代は年間100冊ぐらいのペースでさまざまな分野の本を読み、その時得た知識が後で役立つことになりました。

いろいろと記事を書きましたが、米国産チェリー輸入解禁直前にワシントン州まで行って米国のサクランボ事情を取材した記事は、雨水対策による栽培管理の普及に一役買うことになったり、生産調整に対する山形県農協独自のとも補償制度(計画転作を進める互助制度)でスクープ記事を書いたこともありました。

また、県と市町村に呼びかけ農業事情が似ているヨーロッパ諸国を参考にしようと実態調査行うため13のテーマを設け調査団を編成し数年にわたり英、独、仏、スイスなどに出かけ紙面で報告しました。山形は中山間地の急傾斜農地が多く生産性が高くないので、デカップリング(直接支払い)に取り組むことや、テレワークやグリーンツーリズムや住民活動としてのグラウンドワークトラスト運動の普及を訴えたりしました。そのときの欧州視察では、関心を持てない職員も加わったりして心外に感じたこともありましたけど…。

論説委員に就いてからは、社説やコラムを担当しましたが、そこで誰に指示されることなく自己に課した鉄則は「現場に行き当事者と直接会って議論してから書くこと」でした。現場を踏まず当事者の声を聞かずに記事を書いてはダメなんです。

その点、今のマスメディアは全般的に現場に行かず電話で取材を済ませてしまう傾向があると聞いています。それでは問題の真相や本質は見えてきません。だから、表面的、断片的、屈折した主張になり国民の信用が得られない。

そのほか、世界的潮流になったNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)の全国組織に所属し定期的に東京での会合に参加し全国に多くの知己を得、県内の数多くの市町村で職員を対象に行財政改革政策評価や組織マネジメントなどについて講演しました。

本音が表に出ない世界

日本の政治は最近、原発問題やTPP問題や安全保障問題に見られるように、国民の声を聞かず暴走しがちになっていると思います。報道陣や論説陣は自分の考えを会社の方針に無意識に合わせていたり、政府の意向に反する報道をしないよう自己規制したりして、真実や本質から遠ざかっているのではないでしょうか。グローバル化や経済システムの高度化や民主主義の形骸化がそれに拍車をかけ国民が真相に迫ることを困難にしています。従って、同じ問題を扱ってもメディアによって主張内容が異なる場合があり国民の意識を問題の本質からそらし、世論をミスリードしている現実があります。

荘銀山形ビル
荘銀山形ビル

1998年に山形新聞社から引き抜かれる格好で荘内銀行の町田睿頭取(当時)、國井英夫企画部長(当時)の要請を受け、荘内銀行が設立した県内初の民間シンクタンクの荘銀総合研究所(現・フィデア総合研究所)の立ち上げに参画しました。荘銀総合研究所では、アルカディア街道復興計画、県産業調査、リレーションシップ・バンキング、再生可能エネルギーの可能性、限界集落化がもたらす影響の解明と地域管理手法の開発などの調査研究に携わりました。

「本音」で付き合う地域活動への傾倒

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今までの話は「表の顔」で、記者時代から共感できる現場の多くの人たちと出会うことができたため、彼らと一緒に仕事を離れて地域活動に取り組んできました。「理論」は「実践」を踏まえて初めて「空論」にならずに済み、「実践」を説得あるものにすることができると思うからです。この地域活動は本音でやれる「裏の顔」なんです。地域活動に取り組むきっかけとなったのは、1980年代に英国で始まり欧州中に広がっているグランドワーク・トラストの取材でした。

ナショナル・トラストは資金を集め貴重な自然環境や文化財を守る運動として世界的に有名ですが、グランドワーク・トラストは、住民と企業と行政の3者が協働して地域の自然環境や産業活動や教育環境の改善を目指すボランタリーな実践活動集団で、キーワードは「パートナーシップ」です。行政と企業と市民とが対等の立場で地域課題の解決に向かう、地域づくりの専門家集団が存在するのです。日本のNPO法人を自立力を備えた組織体にしたようなスキームで、荒廃した地域社会の再生、地域資源の利活用による地域活性化などで数多くの実績を残しています。さすが「民主主義の母国」だなと感じ入った次第です。

こうした活動の中に健全な民主主義と地域発展の可能性を感じ取るとともに、行政依存の強い「お任せ民主主義」の日本の社会システムとの落差を痛感しました。そこで、山形県の各地でグランドワーク活動を広めようと、取材で知り合った同志たちと活動を始めました。

山形五堰
山形五堰

なかでも大きな成果を上げているのが寒河江市で、佐藤誠六市長(当時)の理解があって、現在も佐藤順一さん(佐藤建設工業社長)が中心となって環境保全活動などに取り組んでいます。山形市内では、出羽公民館職員の斎藤政美氏(当時)を中心に住民と共に「つつみ」の環境整備で実績を上げています。最近では、山形五堰の保全活動にも取り組んできました。

荘銀総研の退職後は、「ローカルマニフェスト推進ネットワーク山形」(本会の前身)の活動に青年会議所と協力しながら取り組みました。仕事を辞めて、ようやく本音で物事に取り組めるようになりました。今は、頼まれてケーブルテレビ山形(吉村和文社長)のトーク番組「今日とは違う、世界がある。」のレギュラー・コメンテーターもやっています。

政策研究ネットワーク山形への期待

若い時から「既成の枠の内で生きること」の窮屈さを感じ、「新聞記者」や「研究員」の枠にも留まることなく、志を同じくする現場のさまざまな人たちとのネットワークを築き、地域活動を実践してきました。とはいえ、山形全体をみれば地域の人びとが自らの判断と責任で地域の諸課題に取り組む文化の土壌はまだまだ醸成されていないように思います。

でも、一人ひとりの心の中には、今のままで良くないと思っていることが必ずあるはずです。それが表に出てこないだけではないでしょうか。そうした思いを抱えている人たちをうまくつないでいくことが求められているはずです。特に、未来を担う若い世代の人々の奮起を期待したいです。政策研を、そうした人たちをつなぐネットワークにしていきたいですね。

(2014年6月7日、インタビューアー&構成・伊藤嘉高)